Thursday, October 29, 2009

「私の病気は何を告げているの?」- 聖ジャーメインのチャネリング


「私の病気は何を告げているの?」
聖ジャーメインのチャネリング
By Alexandra Mahlimay and Dan Bennack
Cluj-Napoca, Romania
30.09.2009
www.joyandclarity.com

翻訳: Yumi Shigaki
ユミと連絡をとりたいなら、メールをここに送ってください:jueux_13@yahoo.co.jp
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親愛なる聖ジャーメイン。私は胸とリンパ節に現れた癌について尋ねたいと思っています。できるだけ早く完全治癒させるために、私は何を知っているべき・何をすべきですか?私の癌は私に何を告げているのでしょうか。この問いに対して私を支援してくださることを願います。よろしくお願いします。

- この質問は個人セッションを依頼したクライアントが提起したもので、彼女の許可を得てシェアしています -


愛しき者よ。
始める前にクリアにしておくべきことがあります。とりわけ、このコミュニケーションを促しているアレクサンドラとダンのためにクリアにしておくべきことが…。それは、私がここで提供するガイダンスは、あなたが内側で知っていることへのガイダンスであるということです。それは意志の診断ではありません。どうか、あなたの人生を預かっているのはあなただけだということを思い出してください。あなたが自分のセルフを完全に信頼するようになれば、どんな状況に対しても適した具体的な解決策とスピリチュアルな解決策を見つけるようになるはずです。

私は聖ジャーメイン。さぁ、ここで少し休憩しましょう。静かな瞬間を過ごし、深呼吸しましょう。あなたは“ほんとうのあなたという者”の深みへと行きつつあります。さぁ、一緒に行きましょう。あなたが内側で知っていること~それが道を示すのを許してください。

これは予想外の旅です。それは本当のことです。けれどもそれがあなたの経験です。あなたの経験はあなた次第です。えぇ、本物のあなた次第です。恐れないでください。


◇自分の人生を負う

友よ。今このようなこととは思えないかもしれませんが、あなたは自分の選んだ時いつなりと、この状況,あなたの生涯全体の責任を引き受けることができます。そうする方法を忘れてしまっているだけです。この何年もの間、あなたは違った方法で生きることに慣れきってしまったからです。

自分の人生を負うこととは、自分の人生を自分が望む結果に向けるということではありません。自分の人生を負うこととは、自分の人生を生きている~そのそれぞれの瞬間に自分の人生をどのように自分が思うか…ということだからです。人生とは単にそういうものです。けれども、どう思うかについては、常にあなたの選択次第になります。あなたは無力だと感じていますか?幸福を感じていますか?どう感じるか・どう思うか…それはまったくあなた次第です。

私は今、あなたを強く呼び起こしています。そう、私はあなたにあなたの人生を負うよう呼びかけています。あなたは自分の苦しみという影(シャドウ)の中であまりに長く生きていました。そしてあなたは、それこそが自分の本当のストーリーであると、あまりにも長く信じ込んできました。だからです。

あなたはその癌という経験がなぜ必要となったのか自分に問いましたね。特定の時間になった時、その答えを聞くことができるとあなたは思っていますね。その思いは、正当な理由~もっともらしい説明を授けてくれる“声”から来ているものと思われます。けれどもあなたが慎重に耳を貸せば、その声はあてにならない声だということが、あなたにもわかるはずです。その声は、あなたに信頼できる洞察や手助けを提供することよりもむしろ、あなたの状況~人生の苦しみにもっともらしい説明を与えることを好むからです。幾つかのレベルであなたもこのことをご存知のはずです。「自分の健康上状況に対処する際には、今・ここに自分自身をしっかりと置いていなければならない」ということをあなたがご存知なように、「この声は実際的な援助として期待できるものではない」ということもあなたはご存知のはずです。あなたは「自分は確固としているべきだ」ということをわかっています。けれども実際のあなたはそうではなく、あなたに対して私が容赦なくあるよう、私に呼びかけてきました。えぇ、あなたは私があなたに対して洞察的で断固たるよう私に求めました。本当のところ、あなた自身に対して洞察的で断固たるべきなのは【あなた】であるべきにもかかわらず…。


◇たった今、何を必要なのか?

あなたは現在の状況で何を必要としますか?私は何よりも「あなたは、あなたの魂のあなたへの愛を感じる必要がある」といいましょう。あなたには愛と安堵を感じる必要があります。そして、「あなたに生命を授けた者からあなたは見捨てられたことはなかった」ということをわかる必要があります。えぇ、私は「あなたは見捨てられてこなかった」ということを告げるためにここにいます。私はこのメッセージを暫くの間ずっとあなたに送っていました。けれどもあなたは私を信じていませんでした。なぜ信じなかったのですか?私は今、あなたに尋ねています。「なぜ私を信じてこなかったのか?」と…。そしてもうひとつあなたに尋ねましょう。「あなたの魂も私と同じことをあなたに告げてきました。なのになぜ、あなたは自分の魂を信じてこなかったのですか?」と…。あなたの魂は何度もあなたに告げていたはずです。「あなたは愛されているし、安全だよ。あなたは神の腕の中で守られているよ。」と…。

あなたがそれを信じてこなかった理由は、あなたとゲームを興じている他の誰かに気を散らされてきたからです。えぇ、そのゲームとは、こういうものです。

あなたに話しかける声…あなたが耳を傾けている声…つまりあなたの状況にもっともらしい説明をする声は、あなたを助けるフリをしているだけです。その声はありきたりの決まり文句をあなたに言います。しかしそれは本当の知恵でも本当の憐れみでもありません。その声は「あなたはひとりぼっちではない」ということをあなたに思い出させ、「あなたは愛されている」と告げもするでしょう。けれどもそうした言葉も、オウム返しに言う空っぽのフレーズでしかありません。その声はただそのフレーズを繰り返しているだけで、その言葉を本当に理解してはいないからです。本当の知恵とは言葉を超えたものです。あなたが耳を傾けているその声は、からっぽの言うまでもないわかりきったことを告げることしかできません。それは根源的な真実の言葉ではありません。

あなたが耳を傾けているその声は、あなたのエゴの声です。その声によってメッセージが届けられた後でも…あなたが本当に愛されているかどうかに関係なく…自分に起きていることへの自分の理解をいまだあなたが疑ったままでいるのは、その声がエゴの声だからです。


◇烙印を押されたと感じている?

友よ。あなたはしょっちゅう孤独を感じています。あなたは世界の幸せから自分が隔絶されていると感じています。あなたは共に集い笑う家族たちからも離れているように感じています。あなたは、人生が穏やかで満ちている人たちから自分が隔離されているように感じています。そのため時折、あなたは自分自身に問いかけます。「なんで私はあんなふうに幸せになれないんだろう?幸せを感じようと、いろいろしているのに…。」けれどもこのように問いかけてみても、それは、リアルな満足感からより遠ざかったかのように、よりいっそうの孤独をあなたに感じさせるだけです。

あなたはその人生の多くの間、孤立していると…除け者の烙印を押されていると…感じてきました。えぇ、友よ。あなたは自分自身から孤立してきました。あなたは自分自身を隠し、人の関心を最も引くようカモフラージュしてきました。まるであなたは、あなたの人生にもあなたの周りの世界にも参加することを拒否しているかのようでした。しかし実際には、そうではありません。それどころかあなたは生きています。えぇ、あなたはそこにいます。もちろん、あなたの姿は他の人たちの目に見えています。それなのにあなたがそこにいる時、あなたは自分が遭遇したもの・人と自分との間に分離を感じてしまいます。あなたは「本当にはつながっていない」と思っています。そしてあなたは「私はここに属していない。私は非難されている。」と感じます。あなたは、あなたにこう言う声を耳にしさえするかもしれません。「結局ここは私にとって正しい場所ではないんだわ。私はここで本当には求められていない…。」

なぜそうするのですか?なぜあなたは、それほどまで孤立せねばならないのですか?この世界は本当に、あなたにとってそれほどまで居心地の悪い場所ですか?「私は孤独な人生を生きなきゃならない宿命なんだわ」と、あなたは本当に思っているのですか?


◇あなたは愛に値するのか?

因果関係のレベルであなたの癌は、あなたの自分自身に関してのこのような混乱した・無意識の思い込みを明らかにしています。それはあなたに尋ねています。「あなたには他の人たちから受け入れられ・愛される価値がある?」と…。この不一致をあなたに示すために、あなたの癌は形となって現れて来ているのです。それは、あなたを…世界を…みつめるよう、あなたに強いています。つまりあなたには、あなたが望んでいる愛から隔絶されていると感じているあなたの部分,そしてそのことに対して怒りを感じているあなたの部分を知ることを求められているのです。

長年、あなたは自分に何か間違ったものがあると感じてきました。あなたは「私は人間として不完全なため、拒否されても仕方ない。だから私は他の人たちから取り残されるんだ。」と思ってきました。このため、あなたは「烙印を押されている」と感じてきました。そしてあなたはこの思いと一体感を持つようになりました。しかし、この思いはあなたに苦しみを引き起こしてきただけでした。

どうかわかってください。たとえあなたが「このような思いを持つようになったのは、他の人たちから課せられたからだ。」と思っているとしても、この思いを自分と同一視していることに対する責任を負っているのはあなたに他ならないということを。

あなたの別の部分は、あなたには愛される・認められる価値があるということをハッキリと知っています。けれどもあなたのその部分は、「他の人たちから与えられてこなかった」と思っています。そしてそのことに対し憤慨しています。そのため人間関係の中であなたのその部分は、あなたの周りの愛の流れをコントロールしようとしたり、指図しようとしたりします。なぜならあなたのその部分は、他の人たちがあなたに対して不当に同じことをしてきたと思っているからです。あなたという者に関してのこの思い(愛され認められる価値があるのに不当に扱われてきたという思い)もまた、あなたを苦しませました。しかし、またしても無意識にこの思いを自分と同一視することになるだけでした。

思い出してください。たとえそれが意識的なものであれ、無意識のものであれ、自分という者についてあなたが抱く思いには常に影響力があるということを…。あなたが思いを自分自身と同一視することを選べば、あなたには常にその責任を負うことになるということを…。


◇本当のあなたとは?

あなたには、「あなたは、“あなたが思っている自分”~そうした思い・信条ではない」ということをわかる必要があります。あなたは愛から切り離されてもいなければ、烙印を押されてもいません。それを「虐げられてきた」と認識して、世界を敵に回し、仕返しをする…などといった必要などありません。

【あなたは神の子であり、神でもある - これこそがあなたの真実】

あなたが覚えているべきことは、これだけです。これに関して基本的な確信をあなたが得ていなければ、あなたという者についての誤った思い込みがあなたを混乱させることになるだけです。そうしたエゴの誤った思い込みは、ほぼ無意識に留まったままとなり、時にはエゴが互いに否定しあいます。結局のところ、このような思い込みはあなたの幸福や健康に決して貢献することなく、ただあなたを苦しめることとなるだけです。

無意識の思いは、偽りのあなたの部分です。つまり、エゴです。自分という者に関しての誤った認識に強く一体感を持っている時、そうした時常にあなたは、この誤った情報を真実として受け入れることを選びます。そうして、その思い込みが独自の生命(生涯)を引き受けることができるようになってしまいます。あなたの心の中で、その思い自体が“あなた”となり、あなたが“その思い”となってしまいます。

エゴが一度(一時)に複数のサブパーソナリティを操ることも稀なことではありません。あなたの場合、癌の出現を通して表現しているサブパーソナリティは少なくとも2つのあります。片方を“烙印を押されたあなた”、もう片方を“憤慨しているあなた”と呼びましょう。


◇癌が告げていることとは?

あなたが“烙印を押されている”と感じている時、あなたは他人から非難,拒絶,阻害されて当然だと本当に思い込んでいます。あなたは愛されたいです。けれどもあなたは、自分に何か間違ったところがあると思い込んでいるか、他人からこのような扱いを受けるようなことを自分がしたと思い込んでいます。

ところがあなたが憤りを感じている時、あなたはあなたが受けてきた扱いについて怒るようになります。そして、「私が期待したような方法で他の人たちは私を愛してこなかった」からといって、あなたは頑固で要求が多い人になります。あなたが憤りを感じている時、あなたは他の人が注意してくれることを要求します。あなたは賛辞としての配慮を期待します。それは、あなたが他の人たちに対して、とりわけ優しいとか、愛情がこもっていると感じているからではなく、人生の間、あなたは苦しみと孤立に耐えてこなければならなかったからです。そしてあなたは彼らへの仕返しを求めます。あなたが若かった頃、あなたが望んだようには愛さなかったがゆえ、そうして彼ら(そして世界)を罰しようとするのです。

あなたの癌は、エゴが烙印を押された役割と同時に憤りの役割をも演じる方法です。その機能の仕方は、こうです。

あなたがしばしば持った感覚~他の人たちから置き去りにされていると…自分が不完全であると…感じるために癌を用いることによって、あなたは今、癌というこの状態を自分のリアリティと受け入れるために完璧な理由を持っています。あなたのエゴは、あなたのアイデンティティに関してその誤った思い込みにもっともらしい理由をつけるだけでは飽き足らず、実際にあなたが “烙印を押されている”ことを証明する…それをデモンストレーションする方法として、“癌という贈り物”をあなたに授けました。あなたのエゴはまた、あなたがいつも感じていたかったもの得るために…そして、とても長い間無視されてきたあなたの世界が求めた憤慨の行き所として…他の人たちからの配慮,同情を得るために“癌という贈り物”をあなたに授けました。

「あなたの不幸の原因がこんなにもハッキリとしている今、奴らがあなたを無視することができようか?」…あなたのエゴは今、このようにあなたに話しかけています。その時、あなたのエゴは“憤慨しているあなた”の役割を演じています。あなたのエゴは、あなたに関してのこうした誤った思い込みを両方とも同時に満たそうとしています。けれどもそれはゲームです。

あなたの癌は、あなた自身…そして世界へ向けてのシンボルです。それは、「私は烙印を押されている。だけど、だからこそ私は、愛され・配慮されて当然だ」感じるためのシンボルです。しかしこれが、愛され・配慮されるための完璧な方法でしょうか?あなたが病気だから、人々がついにあなたを愛し、支えるのでしょうか?彼らは、癌という烙印にまつわる恐れから余計にあなたを避けはしませんか?彼らがあなたを愛し、サポートして、あなたとあまりに親しくなったら…あるいは、このチャレンジングな状況にどのように対処すべきかをあなたが彼らに語るときに…あなたは憤然として彼らを押し退けるつもりではありませんか?それは、あなたが過去に感じた苦痛の仕返しとして…。それとも、彼らをそのままに…あなたのためにそこにいるようにさせるつもりですか?

あなたには烙印が押されていて、あなたは怒っていて、かつ同時に愛されている…これは、あなたのエゴが見つけた馬鹿げた解決策でしかありません。実際のところ、このような態度は逆効果になっているかもしれません。このゲームがどんなものであるか…曝け出す時が来たのではありませんか?このゲームから降りて進みだす時が来たのではありませんか?エゴにではなく、なぜ真実にフォーカスしないのですか?「あなたは神の子であり、また神です。~これがあなたについての真実です。」…これを信じてください。そうしてあなたの人生が変わるのを見てください。


生命はあなたのためのもの

友よ。あなたの創造者があなたのために描いた人生は、それとは異なったものです。あなたは喜び,幸福,至福の人生を生きることになっています。今それは、あなたにとって非現実的なことに思えるかもしれません。しかし、えぇ。あなたは痛み,恐れ,苦しみがない人生を生きることになっています。では、どのようにしてその人生を取り戻しましょうか?あなたが地球に来た時にあなたの創造者があなたのために思い描いていた人生をどのようにして取り戻しましょうか?

えぇ、友よ。それはまったくシンプルなことです。けれどもあなたは、自分にはたくさん求められることがあると思っています。えぇ、あなたの状況に絶えずもっともらしい理屈をつけるエゴの声をあなたは信じています。エゴがあなたにはたくさんことが求められると告げていることをあなたは信じています。それがことを難しくしました。あなたがあなた自身をみつめねばなりませんし、また理解しなければなりません。本当のところ、あなたには何も求められていません。何も…ただ手放すこと以外は…。

ではここで、いったい誰が決定をしているのかということについて掘り下げてみましょう。誰があなたの人生を担っているのでしょうか?あなたという者についての矛盾した思い込みのために、エゴに自分の身体,自分の命を犠牲にさせるつもりですか?あなたにはここで自分の人生を担っていくつもりがありますか?あなたには、自分の内なる人生を担い、真実だけが残るように、自分に関して間違っているすべてを一掃するつもりがありますか?真実とともに生きるために偽りを手放すつもりがあなたにはありますか?

えぇ、とても長い間、エゴが誤ったアイデンティティにあなたを捕らわれさせ続けるために用いてきた痛み,恐れ,苦しみを本当に手放すことがあなたにはできます。しかし、いったいどうしたらよいのでしょう?

まず、あなたは自分が生命の喜びを味わうことを定められているということを理解せねばなりません。それこそが、あなたに対しての神の意志だからです。あなたにさえ、神はそう望んでおられます。そうです。

そうして、あなたは、あなたのエゴがあなたのためにつくりだしてきたロールプレイングゲームを見つめるよう誘われます。これらの役割を見てください。役割を名指しして曝け出させてください。“烙印を押されている”とか“憤っている”という感情が、自分が選んだ唯一の選択であると思える時には、今一度選択をしなおしてください。より深くへと行き、苦しみの中にあるこのような思い込みを越えたところにあるものを見つけ出してください。それをした時、あなたはそこに平和があることがわかるでしょう。そしてあなたは愛の海を見つけます。えぇ、それは広大な海~まったくすべてを湛えている愛の海です。それこそが神の愛です。そしてまたそれは、神のあなたへの愛です。それは、あなたが触れるために…あなたが感じるために…あなたの人生に戻ってくるよう招くために…そこにあるものです。友よ。それを受け入れてください。そうして、それを起こらせてください。その愛をあなたの人生にもたらしてください。その愛をあなたの日常の伴侶としてください。それをあなたの人生においてのガイドとさせてください。あなたはそれに値します。あなたは本当にそれに値します。

さぁ、神の愛の波があなたじゅうを洗い流すのをお感じなさい。あなたの身体からこの癌を癒すのを…。そしてあなたの心を毒してきた~あなたに関しての嘘・誤認を正すのを…。

あなたが自分の心を癒すことで、あなたは癌という肉体的症状を治療する際にとても重要なステップを取ることになる…ということを知っていてください。それは、あなたがすることになる唯一のステップというわけでなありませんが、とても重要なことだからです。あなたが自分の心を癒すこと…それがあなたの内なる人生をあなたが引き受けるよう、あなたを戻します。そしてその内なる真実の場から、あなたの身体的な健康は好転していく大きな可能性を持つようになります。

友よ。あなたは心から愛されています。

私は聖ジャーメイン

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1 comment:

Jueux said...

お読みいただきありがとうございます。

今回のメッセージはクライアントさんが癌ということで自分の身に置き換えて読むことは難しいかもしれません。

けれども、とってもロウワーエゴな部分には、自分のひとつのアイデンティティを盾にして人の気を引こうとしたり、人をコントロールしようとしたり、人の気を引いておきながら後でギャフンといわせるつもりを持っていたりする部分って、案外あるのかもしれません。おそらく人間の集合意識には、こういう部分もあるんだと思います。私にもまだあると思います。自分の中にこんな部分をみつけたら、恥じたり責めたりすることなく、「私にもあったけど、もう要らないよね」と手放してしまいましょうね。

今は、自分の中の低い振動のものをリリースするために、自分の内側をみつめる時ですし、みつめなおすべきことが露わになってくることも多々あると思います。でも、それが本当にみつめなおすべきもの~リリースすべきものであれば…そしてエゴに自分を支配させていなければ…本当に腑に落ちる答えもすぐに受け取ることができるようになっているはずです。

それが、“もっともらしい答え”や“ありきたりの決まり文句”とどう違うのか? -エゴの囁きではなく真実は、本当にすとんと腑に落ちて、その後に答えを疑うこともなくなります。同じ問いが繰り返されることはないでしょう。けれども、もっともらしいエゴの囁きは、「それが真実だ」と自分を納得させるように働きます。でも、それは真実ではないので疑いが生じてきて、改めて答えを求めようとすることになります。そしてエゴがのさばっている限り、同じような問いと答えの応酬が続くことになります。

でも、エゴが主体でなく、“内なる私”が主体となりつつある今、なぜ、エゴがのさばっているんでしょうか?エゴは悪者なのでしょうか?

私事ですが、少し前、気づくと心の中でエゴのお喋りがうるさく何日か続いていました。そのテーマに何か理解することがあるのか?と眺めてみたのですが、これといって特になさそうです。それでエゴを観察していたら、エゴが退屈してお喋りしているんだということがわかりました。ではなぜ、エゴが退屈しておしゃべりに走るのでしょう?その答えを探してみました。

私が高い振動にいる時、エゴは静かです。その時、エゴも高い振動を楽しみ味わっています。エゴも決して高い振動が嫌いなわけじゃないんですね。むしろ高い振動を浴びていたいのに、味わえないことを不服に思っているようです。だから、うるさくお喋りをすることで、そのことを私に告げていたんですね。

高い振動にチューンすることをまだまだついつい忘れてしまうこともあります。けれども、それをエゴが教えてくれている…。何度か「The Lightweaver」発のメッセージでクツミやマグダラのマリヤが「エゴは最高に善き友」と言っていましたが、本当にそのとおりで、私のエゴも私のよき友・よき協力者となっていてくれているんだということがわかりました。

なぜかといえば、エゴが大声でお喋りをする時、いつも同じ話題(解決策を必要としないこと)なので、「エゴがアピールしているな」と気づくことができますし、そうしてハイヤーセルフにチューンをするとハイヤーセルフが「こらこら、Merging with your higher self (ハイヤーセルフとマージする)じゃなかったの?」とビシッと喝を入れた後に笑顔で迎え入れてくれるからです。まるでハイヤーセルフとエゴがタッグを組んで仕組んでいるかのようです。

エゴを悪者にして除けるのではなく、内なる自分が主体となってエゴを脇に退かせ、やがてはエゴをよき友・よき協力者とする…。このことを知っていていただきたいと思い、コメントしました。